「怒り」に関する忘れられない出来事

それは、20年ほど前、私が雑誌の編集者をしていたときのことです。

「ユニークな人がいる」という情報を得て、ある方にお話を伺うことになりました。その方は、大企業のサラリーマンでした。

なごやかに話は進み、終わって帰ろうとしたとき、相手から「飲みに行きませんか」と誘われました。
しかし、私は、会議の予定が入っていたので、「申し訳ありませんが、これから会議で会社に戻らなければいけません」と言いました。

ikariすると、その方は突然怒り出し、「俺はこれから有名人になるのに、誘いを断わったことを後悔するがいい!」と怒鳴りました。

私はもちろん、同行していたフォトグラファーも唖然として、何が逆鱗に触れたのかわからないまま「別の日はいかがですか?」と言いましたが、「どいつもこいつも俺をバカにしやがる」と、怒りがおさまらない様子でした。

その方が捨て台詞を吐いて帰った後、私とフォトグラファーも我に返り、徐々に怒りがこみ上げてきました。

「あんな人、ゼッタイ有名人になれない!」と2人で言い合いました。

その方とは、その後、電話で原稿確認などのやりとりをしましたが、謝罪の言葉もなく、まるで何事もなかったかのような態度でしたので、世間にはいろんな人がいるなあと思いました。

翌年、その方から届いた年賀状が、B5ぐらいのサイズで、気取ったポーズのご自身の写真だったので、自己顕示欲の強い、プライドの高い方なのかなと思いました。

それから、その方がどうなったか?

なんと、宣言どおり、有名人になったのです! 会社を辞めて、独立して。

若い人に人気のある有名人としてときどきテレビで見かけるその方は、笑顔で、生き生きとしています。

その方の本を読んだ人が、尊敬する人物として、その人の名前を挙げるたびに、私は複雑な心境になりました。

あるとき、その方に会合でお会いする機会があったので、あのときのことを「覚えていますか?」と声をかけてみました。すると、「申し訳ありませんが、覚えていません。当時はいつも怒っていましたから」とおっしゃいました。

さらに、数年後、またお会いする機会があったので、覚えているか聞くと、なんと、「当時はいつも怒っていた」ということすら、すっかり忘れている様子でした。
恥ずかしいから忘れたふりをしているのではなく、本当に思い出せない感じでした。

この一件を通じて思ったことは2つ。

1)「怒り」は莫大なエネルギーをもっていて、上手に使えば、前向きな推進力となる

2)「怒り」をぶつけられたほうは、ぶつけた相手によい印象はもたない

「ゼッタイ有名人になれない!」と思った相手が有名人になっている。これはどういうことだろう、とずっと考えていました。

そして出た答えは、何かを成し遂げるためには「決断」と「強い思い」が必要であり、「怒り」のパワーが、その原動力になったということです。

自己承認欲求、自己顕示欲、プライドが満たされず、怒りが生まれた。

「認めてほしいのに、認められない」
「重要人物として扱われたいのに、扱われない」
「認めないやつらが腹立たしい」
「ゼッタイ認めさせてやる」
という「怒り」が原動力になり、進むことができたのではないかと思いました。

hamono「怒り」は、「刃物」のようなものだと感じます。
自分や相手の心身を刺してしまう危険性があると同時に、迷いや不安、既存の常識、価値観、権威なども断ち切れる。その結果、未知の世界を切り拓ける可能性もあるのではないでしょうか。

同時に、怒りは、ぶつけたほうが忘れても、ぶつけられたほうは覚えていて、よい印象はもたないとも感じます。

私が、先ほどの方から怒りをぶつけられたことは1回しかなく、心身に傷を負ったわけでもありませんが、それでもよくない印象になってしまっています。

私にとってはいまだに「初対面でいきなりキレる失礼な人」のままです。

人に怒りをぶつけると、本人は忘れても、相手は覚えているのです。

アンガーマネジメントでは、「怒り」を感じるのは、自然なこととして、否定はしていません。
先ほど書いたように、怒りは上手に使えば、前向きな推進力となります。

けれども、怒りに対して、どういう態度をとるかが重要で、言動をマネジメントしましょうという考え方なのです。

怒りを封じ込めたり、麻痺させるのではなく、昇華させる。もっと本質から考え、抜本から見直す。そのためにヒントになることを書いていきたいと思います。

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