004怒りの正体は「べき」
「003怒りは第二次感情」で、怒りには、わけ、キッカケがあると書きましたが、その正体は「べき」というものです。
すなわち、自分が「こうあるべき」「こうすべき」と信じていることが、実行されないと、不快な気持ち(第一次感情)が生まれ、溜まると「怒り」が発生します。
「べき」は守られて当然!
たとえば、
マナーはこうあるべき、約束はこう守るべき。
社会人はこうあるべき、会社、社員、上司、部下はこうあるべき。
男性、女性、親、子ども、年長者、若者はこうあるべき……など。
自分が、「当然、こうあるべき」「こうすべき」と、強く信じていることを、誰かがやらない、守らない、無視したとき、私たちは不快な気持ちになり、怒りにつながります。
自分自身に対しても、自分が「~べき」ということをできなかったときに、自分に対して怒りを感じます。
守らないなど「信じられない!」
私たちは、怒っているとき、よく「信じられない!」とか「理解できない」「納得できない」「何これ!?」などと言いますが、それらは、当然守られるはずの「べき」が守られていないことに対する不快感の表われなのです。
「べき」という「理想」に対して、それが守られていないという「現実」、「ギャップ」に対して、怒りが生まれるのです。
「べき」は一人ひとり違う
そして、この「べき」は、人によって違います。
生まれ育ってきた環境、人生経験が一人ひとり違うように、そこで形作られてきた「べき」も違うのです。
しかしながら、私たちは、そのことを忘れがちです。
自分にとっての「当然」「常識」は、多くの「まともな人」にとって「当然」「常識」であると信じています。
とくに身近な人、親しい人に対しては、「べき」が守られないと、裏切られた思いがして、腹が立つのです。
繰り返しますが、それぞれが信じている「べき」は違います。
それを前提に、コミュニケーションを図っていく必要があるでしょう。
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