005誰の、どの「べき」が正しいのか?
「004怒りの正体は『べき』」で、それぞれが信じている「べき」は違うと書きましたが、では、誰の、どの「べき」が正しいのでしょうか?
皆、自分の「べき」が正しい
基本的には、皆、自分の「べき」が正しいと思っています。
自分の「べき」も一定しているわけではなく、その人の環境、人生の変化によって変わりますが、その人にとって、もっとも新しい「今のべき」が、正しいと思っているのです。
類は友を呼ぶので、自分のまわりには、自分の「べき」に近い考えの人が集まることが多いですが、それでも、それぞれ違う人間なので、違いはあります。
集団の「べき」=「決まりごと」
そこで、集団の「べき」が決められます。いわゆる「決まりごと」です。
家庭、学校、会社、組織の規則、スポーツのルールなど。
時代、国、地域、宗教、業界などによって、「決まりごと」は異なり、法律などの拘束力が高いものから、社会通念、慣習と言われるものまであります。
契約書を交わしたり、マニュアルが設けられたり、組織のルールに則った教育、研修が行なわれます。
慣れ親しんだルールが、「べき」を作る
逆に言うと、これらの、慣れ親しんだルールが、その人の「べき」を形作っています。
そのため、違う会社、業界に転職したり、違う地域に行くと、慣れ親しんできた「べき」が「常識」ではなくなることが多々あります。
そして、自分の「べき」が「非常識」「少数派」の環境はストレスが溜まります。
逆に、自分と似た「べき」の人が多数派を占める環境は快適ですが、慣れると、違う「べき」が受け入れにくくなります。
また、近い「べき」の人の、ちょっとした「違い」が許せなくなります。
それぞれの「べき」は個性でもある
それぞれの人の「べき」は、その人らしさ、個性でもあり、なくす必要もなければ、なくすこともできません。
けれども、自分にとって自分の「べき」が大切なように、相手にとっては相手の「べき」が大切であることを認め、必要に応じて、摺り合わせをしたほうが、人間関係がうまくいきます。
お互い、自分の「べき」だけが正しく、相手の「べき」が間違っていると譲らず、相手を力でねじ伏せなければ、という思いが、暴力、戦争につながります。
相手を尊重し、対話をあきらめないことが、極めて重要でしょう。